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17-01-26 佳い日
一昨日(2017/01/24)は、大変寒い日でしたが、春の訪れが感じられる佳い日でした。
庭の梅が満開でした。虫に幹を食われて瀕死の有様ですが、それでも残っている枝には花を咲かせています。

この午後、二人で買い物に出、帰り道で近くの灌漑用の溜池で彼女が水面に白い鳥を発見。 プロミナを自宅から持ち出し観察すると、ミコアイサの群れでした。 白い雄が2羽、雌らしいの8羽。ミコアイサのエクリプスの雄は雌に似ているので、雄の数はもうすこし多いと思います。 一羽の雌?が水に潜ると、2秒くらいして、残りの9羽も一斉に水に潜ります。 20秒くらいで、一羽の雌?が水面に姿を現すと、2秒くらいして、残りの9羽も一斉に水面に姿を現します。 この9羽は同じ方向を向いて水面に姿を現します。 楽しげにこの潜水を続けて行っています。

この日は池には、マガモ、ハシビロカモ、コガモ、ヒドリガモ、オオバン(群れ)、バン、それに鵜、コサギと訪問者が多かった。

12-01-31 大阪 大地震両川口津浪記
 嘉永7年(西暦1854年)に起きた「安政東海地震」・「安政南海地震」は巨大地震でした。
始め東海で地震があり、翌日南海にも地震がありました。規模は、両方とも8.4Mと
推定されています。
地震と津浪は、東海・南海に広く甚大な被害をもたらし、これを伝えるものが各地に
残っています。
その一つに、大阪市内、木津川に架かる大正橋のたもとに立つ「大地震両川口津浪記」
の碑があります。

碑は、大阪の道頓堀の繁華街から西へ2キロ半ほど行ったところ、大正橋の東詰にあり、 高さが2メートル近い四角い花崗岩の柱です。黒く汚れているように見えました。 この碑の伝える地震の様子は、   安治川は勿論、木津川別而はけ敷、山の如き大津波が、雷のような大音響   をたてて木津川、安倍川を遡上し、東西・南北の掘割に泥水が押し寄せた。   大小の船が流れ、橋が崩れ、多くの家屋が押し崩されていった。   山のような破船のしたで夥しい水死者が出た。   道頓堀川では、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋が崩れ、大黒橋では大きな船   が横倒しになって塞ぎ、川下から入ってきた船が次々に乗り上げた。   特に、前日の地震、当日の地震で、多くの人々が小船に乗って、家屋の倒壊   の難を逃れようとしていたので、水死者が多くでた。   実は、この地震のあった147年前の宝永4年(1707年)にも同じような地震が   あり、船に避難して、大勢の人が死んだ。   年月がたてば、そのことを伝え聞く人もほとんど無く、今また、同じ場所で多く   の人々が亡くなった。悔やまれることだ。   地震が起きた時は、船に逃げるな、火の用心をしろ-----    この碑は、地震の翌年(安政2年)に、地震とそれに伴う津波によって犠牲となっ た人々の慰霊と、後世への戒めを語り継ぐために、地元が立てたものです。 碑文の最後のには、「この石碑の文字がいつも読めるように毎年この石碑の文字に 墨を入れよ」とあります。 いまでも、幸町5丁目の人々は、毎年地蔵盆になると、石碑をきれい洗い、文字に 墨を入れて、お守りしているとのことです。 参考: 寒川旭、「日本人はどんな大地震を経験してきたのか」、平凡社新書、2011年 大阪市のホームページ
財団法人消防科学総合センター
阿房列車ピクトリアル(碑文の全文あり)

02-08-23 飢人地蔵(うえにんじぞう)

飢人地蔵(うえにんじぞう)

博多では毎年8月23・24日両日飢人地蔵尊で施餓鬼供養がある。
享保17・18年(1732・3年)黒田藩では大飢饉に襲われ、農村部
から飢民が福博の街に流れてきた。行き倒れて死んでいった人が多く、
街外れに穴を掘り、死骸を重ねて埋めたという。穴の上には石を置き、
後に地蔵を作って弔った。
 この地蔵尊は、今でも、東中洲、千代町、大浜と、昔の博多の外周に
立ち、遠い日の怨恨を伝えている。
 東中州は、水車橋のたもとに、川端飢人地蔵堂がある。天明元年
(1781年)に藩主が弔ったとのことで、これは上川端町が世話をして
おり、毎年盛大に施餓鬼供養を行なっている。
 千代町は、西門飢人地蔵堂で、博多の東側の西門町が世話をしている。
昭和6年8月24日に200回忌法要を行いと碑にあった。
 大浜のは、阿弥陀様の印のある石塔で、寛政2年(1790年)7月の
造である。町のひとが何時も水と花とを供えている。

川端飢人地蔵堂川端飢人地蔵尊
川端飢人地蔵堂 川端飢人地蔵尊
川端飢人地蔵尊
川端飢人地蔵尊
西門飢人地蔵堂西門飢人地蔵堂
西門飢人地蔵尊 西門飢人地蔵尊
大浜飢人供養塔大浜飢人供養塔
大浜飢人供養塔 大浜飢人供養塔


99-04-12 街中で花見
街を歩いているとき、交通量の多い交差点でさくらの花に気づきました。 見ると、この道路には、さくら・かいどうと花が満開でした。街のひと が丹精に世話をしているようでした。交差点のさくらの前は本屋さんで 店に入り、雑誌を買い、店のひとにさくらのことを話すと、うれしそう に「もう満開がすぎています」と応えがかえってきました。また、花の したで、引き売りのおばさんがいたので、声を掛けたら、大きな笑顔が かえってきました。東京・人形町を歩いている時のことでした。
kousatenn no sakuramannkaino kaidousakura no shita no hikiuri

98/06/07 町の花屋さん
東京駅の八重洲口を歩いていたら、一つの花屋さんを見かけました。 通りから路地の奥にある店までの導入路に工夫がありました。 小路に沿った壁のデスプレイが都会の花屋を感じさせてくれます。

97-02-25 鹿児島の朝市
九州の各都市には、朝市があります。特に鹿児島市西駅前の朝市は有名です。
ここで毎日の必要なものを買うのが主婦の日課になっています。



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